“見ない” “使わない” “教えない”
8月31日(木) ・・・
9月に入ろうというのに連日暑い日が続いている。
今年の夏はかつてない猛暑・・・、まるで地獄のようだ。
地球温暖化の要因をCO₂排出に結び付ける人もいるが、本当は別のところにあるのではないかと思う。
多くの有識者がいろいろ研究をしているが、明確な原因は未だ誰にも解らない。
気温の上昇が海水の温度上昇に繋がり気候変動を起こし、台風や豪雨などを助長させるというが、本当なのだろうか。
確かにそれも要因のひとつに違いないのだろうが、しかし、根本的な要因は別のところにあるような気がしてならない。
地球自体に何か予期せぬことが起っているのか、それとも宇宙全体で異変が起きているか、その辺は誰も予測不可能。
結局、真実は未だベールに包まれたままになっている。
近年、当サイトでも脱炭素、カーボンニュートラル、CO₂排出量削減などのキーワードを頻繁に表記しているが、いつも思うことは、本当にCO₂排出量が原因なのか、疑問を感じる。
CO₂排出量を削減しただけで果たして温暖化を防げるのか・・・。
有識者は事あるごとに様々な論文で自説を唱えているが、本当に正しいのか・・・。
なんの知識も無い自分にはサッパリわからない。
ただ一つ言えることは、有識者の見解はすべからずデータに基づくことが多く、根本的な要因がどこにあるのか、確かな情報は一向に出て来ない。
CO₂排出量が温暖化の要因の一つでもあると有識者によって分析されている以上、それを信じるしかない。
が、しかし、それを正直に信じてよいのかと言われれば、原因は別にあるような気がしてならない。
世界中がカーボンニュートラルに取り組むことは非常に良いことであると思っている。
事実、自分も日頃から節電したり、マイカーでの無用な外出は極力控えるように心がけている。
只、CO₂排出量を削減すれば本当に地球温暖化を防げるのだろうか・・・。
こんなに毎日暑い日が続くと、原因は別にあると感じる。
社会や企業がカーボンニュートラルを推進することは大賛成だが、その反面なんとなく釈然としない。
一方、近年はビジネスや社会において“DX”(デジタルトランスフォーメーション)という言葉がキーワードになっている。
簡単に言えば、“デジタル革新”、“デジタル変換”を意味するもので、何でもかんでもデータ化しようという動きが急加速している。
より多くの情報を集積、データ化し、さらにそれを分析することで的確な判断基準を得ることができる。
“DX”などと今風の言葉で言うと新しい風潮のように思うが、実はこれ、すでにネットが一般社会に普及し始めた当時からすでに始まっている。
そして、もう既にわれわれの身の回りにはそれが溢れている。
例えば、ネットに繋がるものはすべてデータが利用されている。
銀行やコンビニ、ガソリンスタンドなど、今はどこに行ってもカードだらけ。
カード発行の目的は、顧客情報の収集にある。
ハッキリ言えば、情報は遠の昔から集められていた。
さらに言えば、それがあたりまえになっているのが現在。
もはや、われわれはそうした社会の流れにドップリ浸かっている。
話を戻すが・・・、
人は常にリアルと向き合い、リアルに基づいて個人の判断基準が形成される。
自分が学んだことや経験したことがその人の判断基準になる。
知らないことや経験のないとことは、自分がリアルで蓄積した判断基準をもとにした、あくまで憶測で判断するしかない。
CO₂排出量が温暖化の要因の1つであることは誰しも疑う余地は無いと思う。
自分も否定はしない。
でも、根本はCO₂排出量だけではなく、全く別の所にあるのではないかと感じる。
人は誰しも、リアルで起こった事にばかり意識が集中する。
経験したことがないと想像もできないし、そもそも想像すらすらしない。
何故なら、常にリアルな経験や体験がデータとして蓄積されるためで、その蓄積をもとに判断するしかないからだ。
先日も台風の影響で各地で大洪水が発生し、河川が増水して橋が流されたり、ハワイでは森林火災が一般住宅地に押し寄せて大惨事を招いた。
また、つい最近でも中国の観光地で突然土砂崩れが発生、バスに乗っていた観光客が孤立して大騒ぎに見舞われるなど、世界各地で災害が発生している。
近年は気象衛星が発達したおかげで、天候状況がリアルタイムで把握できるようになった。
それにより、自然災害による人的被害も多少減少しているようだが、それでも自然災害は実際に来てみないとわからない。
とくにここ数年の自然災害は、いずれも経験したこともない、想定を遥かに超える災害が多く発生している。
実際、経験してなければ想定もできない。
結局、それが避難のタイミングを誤らせ、人的被害を被る羽目に遭ってしまう。
そこで本題に移るが・・・、
そうしたことから考察すると、冒頭に触れた“DX”というキーワードも本当に役に立つのか、疑問が残る。
何故なら、そもそもデータはリアルな情報を集積しているだけで、想定を超えるようなデータはあくまで自分の憶測で判断するしかない。
“DX”に対する考え方は、確かに利用者により付加価値の高いツールなのかもしれない。
でも、理解してもらいたいのは、想定を超えるようなことを期待するのであれば、それは自分の憶測で考えるしかない。
そうしないと、単にブームに踊らされるだけで終わってしまうかもしれない。
“DX”に注目する企業は多いが、最初に目的を明確にしないと、費用対効果は得られないと思う。
さらに、もう一つ言わせてもらえば・・・、
情報量が多ければ多いほど、盗まれるリスクも高くなる。
すでに相当前から日本企業がターゲットにされ、どんどん競争力を失っている。
むしろ、いま狙われているは個人情報で、それが今後どのような形で悪用されるのか、そこに興味がある。
すでに世の中はネット社会、カード社会、パスワード社会に陥り、個人情報が氾濫している。
本人が知らないうちに悪用されて事件になる事例も発生している。
それを考えると、一番良いのは“見ない” “使わない” “教えない”・・・、それが最強かもしれない。
9月に入ろうというのに連日暑い日が続いている。
今年の夏はかつてない猛暑・・・、まるで地獄のようだ。
地球温暖化の要因をCO₂排出に結び付ける人もいるが、本当は別のところにあるのではないかと思う。
多くの有識者がいろいろ研究をしているが、明確な原因は未だ誰にも解らない。
気温の上昇が海水の温度上昇に繋がり気候変動を起こし、台風や豪雨などを助長させるというが、本当なのだろうか。
確かにそれも要因のひとつに違いないのだろうが、しかし、根本的な要因は別のところにあるような気がしてならない。
地球自体に何か予期せぬことが起っているのか、それとも宇宙全体で異変が起きているか、その辺は誰も予測不可能。
結局、真実は未だベールに包まれたままになっている。
近年、当サイトでも脱炭素、カーボンニュートラル、CO₂排出量削減などのキーワードを頻繁に表記しているが、いつも思うことは、本当にCO₂排出量が原因なのか、疑問を感じる。
CO₂排出量を削減しただけで果たして温暖化を防げるのか・・・。
有識者は事あるごとに様々な論文で自説を唱えているが、本当に正しいのか・・・。
なんの知識も無い自分にはサッパリわからない。
ただ一つ言えることは、有識者の見解はすべからずデータに基づくことが多く、根本的な要因がどこにあるのか、確かな情報は一向に出て来ない。
CO₂排出量が温暖化の要因の一つでもあると有識者によって分析されている以上、それを信じるしかない。
が、しかし、それを正直に信じてよいのかと言われれば、原因は別にあるような気がしてならない。
世界中がカーボンニュートラルに取り組むことは非常に良いことであると思っている。
事実、自分も日頃から節電したり、マイカーでの無用な外出は極力控えるように心がけている。
只、CO₂排出量を削減すれば本当に地球温暖化を防げるのだろうか・・・。
こんなに毎日暑い日が続くと、原因は別にあると感じる。
社会や企業がカーボンニュートラルを推進することは大賛成だが、その反面なんとなく釈然としない。
一方、近年はビジネスや社会において“DX”(デジタルトランスフォーメーション)という言葉がキーワードになっている。
簡単に言えば、“デジタル革新”、“デジタル変換”を意味するもので、何でもかんでもデータ化しようという動きが急加速している。
より多くの情報を集積、データ化し、さらにそれを分析することで的確な判断基準を得ることができる。
“DX”などと今風の言葉で言うと新しい風潮のように思うが、実はこれ、すでにネットが一般社会に普及し始めた当時からすでに始まっている。
そして、もう既にわれわれの身の回りにはそれが溢れている。
例えば、ネットに繋がるものはすべてデータが利用されている。
銀行やコンビニ、ガソリンスタンドなど、今はどこに行ってもカードだらけ。
カード発行の目的は、顧客情報の収集にある。
ハッキリ言えば、情報は遠の昔から集められていた。
さらに言えば、それがあたりまえになっているのが現在。
もはや、われわれはそうした社会の流れにドップリ浸かっている。
話を戻すが・・・、
人は常にリアルと向き合い、リアルに基づいて個人の判断基準が形成される。
自分が学んだことや経験したことがその人の判断基準になる。
知らないことや経験のないとことは、自分がリアルで蓄積した判断基準をもとにした、あくまで憶測で判断するしかない。
CO₂排出量が温暖化の要因の1つであることは誰しも疑う余地は無いと思う。
自分も否定はしない。
でも、根本はCO₂排出量だけではなく、全く別の所にあるのではないかと感じる。
人は誰しも、リアルで起こった事にばかり意識が集中する。
経験したことがないと想像もできないし、そもそも想像すらすらしない。
何故なら、常にリアルな経験や体験がデータとして蓄積されるためで、その蓄積をもとに判断するしかないからだ。
先日も台風の影響で各地で大洪水が発生し、河川が増水して橋が流されたり、ハワイでは森林火災が一般住宅地に押し寄せて大惨事を招いた。
また、つい最近でも中国の観光地で突然土砂崩れが発生、バスに乗っていた観光客が孤立して大騒ぎに見舞われるなど、世界各地で災害が発生している。
近年は気象衛星が発達したおかげで、天候状況がリアルタイムで把握できるようになった。
それにより、自然災害による人的被害も多少減少しているようだが、それでも自然災害は実際に来てみないとわからない。
とくにここ数年の自然災害は、いずれも経験したこともない、想定を遥かに超える災害が多く発生している。
実際、経験してなければ想定もできない。
結局、それが避難のタイミングを誤らせ、人的被害を被る羽目に遭ってしまう。
そこで本題に移るが・・・、
そうしたことから考察すると、冒頭に触れた“DX”というキーワードも本当に役に立つのか、疑問が残る。
何故なら、そもそもデータはリアルな情報を集積しているだけで、想定を超えるようなデータはあくまで自分の憶測で判断するしかない。
“DX”に対する考え方は、確かに利用者により付加価値の高いツールなのかもしれない。
でも、理解してもらいたいのは、想定を超えるようなことを期待するのであれば、それは自分の憶測で考えるしかない。
そうしないと、単にブームに踊らされるだけで終わってしまうかもしれない。
“DX”に注目する企業は多いが、最初に目的を明確にしないと、費用対効果は得られないと思う。
さらに、もう一つ言わせてもらえば・・・、
情報量が多ければ多いほど、盗まれるリスクも高くなる。
すでに相当前から日本企業がターゲットにされ、どんどん競争力を失っている。
むしろ、いま狙われているは個人情報で、それが今後どのような形で悪用されるのか、そこに興味がある。
すでに世の中はネット社会、カード社会、パスワード社会に陥り、個人情報が氾濫している。
本人が知らないうちに悪用されて事件になる事例も発生している。
それを考えると、一番良いのは“見ない” “使わない” “教えない”・・・、それが最強かもしれない。